多様性を受けいられるか受けいられないか
多様性を受けいられるか受け入れられるか以前に、もろもろ新しいことや自分が理解できないことを否定する人に、そもそも多様性を受け入れるか受け入れられないかという前提がない。
例えば、電子マネー。明るい未来がまっているとおもうし少なくとも現金のみという選択肢から、現金でも電子マネーでもよいという世の中になったときに選択肢の幅が広がるというのがよいとおもっている。
電子マネーのみになったら困るかといったら、その時に適応していけばよいだろう。誰かがメリットがあるから新しい技術や新しい物事が生まれていく。我々利用者のみがデメリットを被ることは稀だし、大体は長い移行期間が必要となる。
その中で、電子マネーを完全否定する人が多い。それは大体50代以上だろう。完全否定する意味がわからないが、よくわからないことは否定からはいるのだろうか。
初音ミクも、キズナアイも同じだ。なぜ新しい世界が受け入れられないのか。せめてでもメリデメを頭の中で整理してから自分は受け入れられないでよいのではないか?もしかすると理解ができず、メリットのみしかないのも理解できないから、とりあえず否定という思考停止が起きているのではないか。
人間は、変化を原則好まない。その気持は非常にわかる。自分は変化を非常に好むほうではあるが、引っ越しはしたくないし、給料はかわってほしくないし、気のしれた仲間と戯れたい。だが、それとこれとは違うように思える。
人は変化を好まないから選択肢が2つあるときは変化をしない方を選ぶし
人は理解できないものは否定からはいる。
10年前くらい、ホリエモンとテレビ局がごたごたしていた時があったが、大体世の中のおばさん、おじさんはテレビ局側を支持していた。自分にはそれが理解できなかったが、多分当時はインターネット自体が理解されていなかったとは思う。
ま、そのときは、古い体制は悪だみたいな意識が強かったからやっぱり自分にもバイアスかかっているんだろうと思う。それでも多様性のある世の中になってほしいし、多様性を受け入れられるようになりたく色々な人と接触して色々な情報と接触している